Log
210610
クリエイティビティと解脱
前日にデザイナーのクリエイティビティについての話があったので、そもそもクリエイティビティってなんだろう、何を指標にある/ないと言えるんだろうと考える機会があった 以下ツイート群
ものづくりに関しては橋本麦さんのこれを何度も擦ってる(昔は日本語版があったと思うんだけど何故か英語版しかなくなってるので、適宜いい感じにして読んでください)
最適化と局所解(と「Adobeに整備された山登り」)の話 自分の感覚の大部分はこの考え方に洗脳されている
でデザインというのは課題の明示と解決なので、必要なのは(なるべく)最適化された解決法であり、そこにクリエイティビティは必要ないしむしろ邪魔をしてしまう場合がある
対してクリエイティビティがどこに存在するかというと、流行りものを王道と見るかクリシェと見るか、という感覚の違いにあるような気がしている
「5年後にそれを見たときにダサいと思うかどうか」って結構面白い指標な気がしてきた
いま(自分から)ダサく見えるかではなく、また上達とかで訪れる数ヶ月~1年位のスパンでダサく見えるアレでもなく、さらに10年以上経つとどうしても付加されちゃうノスタルジーも取り払って、ということ
これによって、ただモードを追っかけているだけかが明らかにできる、ただ、
流行りに乗ってるからいいわけでもなく、流行りに乗ってないからいいわけでもなく、流行りは乗るほうがいい場合とそうでない場合のあるただの一要素なんじゃないか
とまで書いて「あっこれ仏教における解脱じゃん」となっていますいま
という理解を得た
つまり、特にアピアランスデザインに限った話をすると、出力までに係る関数に「きらびやかか」「シンプルか」「パステルカラーを使っているか」みたいな変数が大量にあって、それらのプリセットとして「今の流行に乗っているか」という変数がある
この変数は他の変数と同列に考えないといけないけど、ちょっと動かしてみると他の変数が連動して動き始めるのが面白いところ
そして、「これらの要素を変数と見るか定数と見るか」という変数が、一階層上に存在しているという考え方もできる
情報共有と、情報マウント(おせっかい)
「情報・技術・知識・考え方 といったものを特権的に保持してはいけない(それらをしてオリジナリティといってはいけない)」というハッカーじみた考えを自分はしていて、そのもとで上のような思考とかはどんどんTwitterに書き込んでいたんだけど、特に求められていないのにそれが存在することはあまり良くないかもしれないと思ってこのログを錬成した
長文ログとして残しておいおい見返すためというのもある
公の場に情報を置いておくことを共有と取るかマウントと取るかという話題は、流行りものを王道とするかクリシェとするかという話題と「同じものの捉え方の違い」という点でつながっている
この違いに対して議論だったり啓蒙だったりするのは簡単だが、なぜその違いが出てきたかまで考えると楽しいかもしれない
大事なのは、「別の捉え方をする人がい得る」ということを常に念頭に入れておくこと
以下リンク保持用スペース
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